55 宝翰類聚 ほうかんるいしゅう

編著者 伊藤祐清・圓子 記ヵ



【藩の日記・年表】

岩手県立図書館所蔵 新渡戸文庫「御判物御書並古案写」の副題があり、万延元年本堂嘉納親貞による写本。原本の所在は未詳 乾坤 二冊(県図新21-4─45)


【史料の概要】

編著者、成立時期について故田中喜多美は、寛保元年に藩主南部利視の命により、伊藤祐清・圓子記が、諸士系図由緒(『系胤譜考』)編纂に際して、諸士等から示された古文書集と考証(『岩手史学研究』No一九「宝翰類聚所収文書に就いて」)、現在は定説となっている。主に南部家が受取人、或いは発給者となる書状を中心として所収文書は百五十八通・詠歌 四十八首を納める。


【史料批判・雑感】

収載文書(原文書というより写本)は『系胤譜考』や『御当家御記録』(共に盛岡市中央公民館所蔵)ほかに一部掲載されてはいるが、原本が私蔵であったり、何時かの時期に消滅し伝来していない文書も多く含まれていて得難い史料集である。但し、次のような事例が内在していることも知る必要があろう。その一・「文禄元年正月吉良辰」と年号を銘記した、南部信直の鳴海新丞宛名字宛行状がある。しかし、文禄元年は天正二十年十二月八日に改元して文禄元年である。ならば、史料の信憑性において疑問が生ずる。その二・十月廿四日(天正十九年)附の江刺殿宛信直状がある。原物は茨城県在住の末裔江刺家に伝蔵している。県立図書館所蔵『宝翰類聚』は魚魯の誤りというべきか、大分読み違いが見える。その三・故田中喜多美説によれば、「二戸福岡町川島一郎写本は、巻末奥付に万延二辛酉年正月於下小山村本堂親貞奉之、大正八年六月写」とある由、但し現在の状況は不明である。一方、「岩手県戦国期文書」1に収録する解読文は、「盛岡市南部利英旧蔵・現在盛岡産業文化館所蔵」(現在盛岡市中央公民館所蔵)の『宝翰類聚』より収載したとある。しかし、昭和七年の「盛岡南部伯爵邸図書並旧記目録」(盛岡市中央公民館)及び同館「郷土史料目録」(昭和三十八年版)にも『宝翰類聚』は存在しない。「岩手県中世文書」は所蔵者名を間違えたものであろうか。あるいは、県立図書館所蔵写本と異なる類本(原本か、写本かは不明)が存在するかについては確認出来ていない。
その四、既述(その三)のように、故田中喜多美説によれば、「二戸福岡町川島一郎写本は、巻末奥付に万延二辛酉年正月於下小山村本堂親貞奉之、大正八年六月写」とある一方、所在不明の「菅敬愛所蔵」本が存在したこと触れている。但し、岩手県立図書館所蔵本には「万延元年本堂嘉納親貞」の奥付があり、かつ、県立図書館所蔵本は新渡戸文庫本であることから推して旧菅敬愛所蔵本同一本と考察する。両書の関係は今一つ判然としない、『宝翰類聚』を活用する場合、他記録類を参照することが必要であろう。

平成十六年六月追記
『青森県史』資料編 中世1(平成十六年三月出版)に掲載する改題によれば、
「カーボン複写本が岩手県立図書館・盛岡市立公民館に所蔵されている」「両書も不明」
とある」。但し、筆者が嘗て確認した限り「カーボン複写本が所蔵されていた」の話は
聞いていない。

【参考】

古文書集には、外に星川正甫の『古文書類写』(県立図書 館所蔵)、同人編『公国史』所収巻七十「古文書」(盛岡市中央公民館所蔵、南部家旧蔵文書)等がある。


【刊本】

平成十六年三月青森県より刊行された『青森県史』資料編 中世1「南部家関係資料」に収録されている。岩手県立図書館所蔵・新戸部文庫本を底本としたとある。なお、外に個別的には「岩手県史」四・五巻や「岩手県中世文書」「岩手県戦国期文書」に収録された記録もある。



【著者・著書等】

伊藤祐清・圓子 記ヵ


一覧にもどる