下山 しもやま

下山源八郎

 明治元年支配帳に見える岩間左市兵衛家である。『参考諸家系図』によれば岩間将監政恒の二男岩間肥前政春を祖と伝える。左市兵衛の代、明治二年名前に国名官名の使用禁止令により左市郎と改名す。岩間を旧に復して下山と改姓した時期は定かではないが、同族諸家の動向に照らして明治三・四年頃と勘考される。同四年左市郎の跡を下山源八郎が相続。同八年士族明細帳によれば旧名源八郎、下山政道とある。


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