新谷 あらや

新谷六郎家


明治元年支配帳に新谷六郎家がある。『参考諸家系図』によれば阿曽沼孫三郎広郷の旧臣菊池姓平清水出雲の三男新谷六兵衛を祖と伝える。新谷は閉伊郡平清水村新谷の在名による。六兵衛は二十八代重直の時に召出され、仙台領境の新谷境番所役人を勤め寛文七年死去した。以降代々遠野住居として同番所役人を世襲した。初代六兵衛死去の後、二代目六兵衛が相続し天和元年死去した。その跡を三代目六兵衛が相続、元禄十二年死去した。その跡を相続した四代目六兵衛は宝永八年死去し、その跡を三代目六兵衛の二男六右衛門が相続した。六右衛門は寛政元年に隠居し同十年死去した。その跡を本家菊池九郎兵衛の二男六兵衛元賢が相続、天保九年に隠居し同十四年死去した。その跡を継いだ六太夫元林は文久二年に死去し、その子六郎が家督を相続した。その跡を志津馬元正、貫一郎元真、三郎と継いだ。

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