飯富 いいとみ

飯富了専家

 
 
明治元年支配帳に外科御医師 飯富了専家がある。『参考諸家系図』によれば、
飯富良碩義敷の二男了哲義勝を祖と伝える。義勝は安永四年一生医師に召出され二人扶持を食禄した。寛政七年永代医師に取立られ、文化元年隠居して同三年死去した。その嫡子了仙義恵が文化元年相続、嘉永四年死去した。その跡を翌五年嫡子了専が相続、慶応四年用途金を献納し五十石座となった。維新後了八と改名、明治十四年に隠居。翌十五年死去した。その跡を箱崎助左衛門の二男千代記が嗣子となり相続、同三十七年に死去した。千代記の家督を寅五郎、ケイと継ぎ、当主の武彦氏は神奈川県に在住する。歴代の墓地は盛岡市北山の法華寺にある。



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