石川 いしかわ

石川隆治家

石川隆治家
明治元年支配帳に石川隆治家がある。『内史略』は差上侍を列記。その中に一、地方九十石、三戸丁質屋石川太郎右衛門 石川清。一、三十石内二人御ふち、石川太郎右衛門支配人 石川助四郎が散見する。明治四年『士族明細組合帳』によれば、祖父石川太郎右衛門(非役)、父助四郎(作事奉行)、当主石川隆治で見える。助四郎は主家の養子となり分家したものか。隆治の職歴は安政三年に家督、慶応四年に雇勘定方を勤めた。明治三年戸籍では住所を川原丁とし、同八年士族明細帳では司郎と改名、同十一年士族明細帳では上衆小路に転居していたことが確認できる。その後、秋田県の荒川鉱山に勤務したらしい。その跡を静一郎、静、三郎と継いで当主の進氏は愛知県に在住している。


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