石沢 いしざわ 

石沢治郎家

 

明治元年支配帳に石沢治郎家がある。『参考諸家系図』によれば石沢勝右衛門道安を祖と伝える。道安は重信公の時召出され、二人扶持を賜ふ、元禄中死とある。「身帯並御加増分地被召出類」寛文八年九月二十三日に若殿様衆扶持方下さる事の条に、一人に付二人扶持宛下さるとして十八名を連記する中に石沢善九郎の名が散見する。推して同人と見られる。道安は元禄十一年死去。その跡を三戸与力滝沢長兵衛の二男奥右衛門道官が相続し延享五年死去した。次いで葛嘉右衛門家武の二男小右衛門道忠が相続、取次役を勤め明和九年に隠居して安永七年死去した。その跡を漆戸玄蕃家臣村木伊四郎の子伊兵衛が相続、天明八年隠居した。その跡を船越多左衛門の弟奥右衛門が相続。赤羽根御番所御役人を勤め、のち北地扱役となり、三年間の根室詰を経て文化十一年隠居、文政元年死去した。その跡を石沢八十八の子平十郎康崇が相続、熊沢御番所御役人を勤めて天保十五年隠居した。その跡を伊兵衛が相続し御錠口番を勤めた。慶応二年死去。その跡を平治─福島圓司二男治郎(明治四年相続、のち正)─達夫─緑─ゲンと相続して家名が絶え、旧盛岡藩士桑田の権利継承者は神奈川県に在住する。

              平成19年12月6日、下田 亮一氏のご教授により一部訂正す



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