伊藤  いとう 

伊藤半之丞家


明治元年支配帳に伊藤半之丞家がある。伊藤栄八の子範之丞(半之丞、のち半六)祐宗を祖と伝える。祐宗は江戸に出て中西忠兵衛子正に師事し、嘉永二年小野派一刀流劒術の奥義を極めた。安政二年藩よりこれを賞され、一生花巻与力に取立てられ二人扶持を食禄した。万延元年士籍(花巻住居の城下支配給人)に列し、一人加扶持で三人扶持となった。明治二年死去。嫡子熊治祐宗がその家督ならびに小野派一刀流劒術の師範を継承した。明治十年の士族明細帳によれば、当時祐宗(熊治)は三ツ割村(盛岡市)二十四番屋敷に住居と伝える。その跡を憲二、恭子、セツと相続して家名は絶え、旧盛岡藩士族桑田の権利継承者は青森県に在住する。歴代の墓地は盛岡市北山の願教寺にある。 諸士リスト(あ行)

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