岩間 いわま

岩間藤助家 200511

明治元年支配帳に岩間藤助家がある。「参考諸家系図」によれば、花巻御給人岩間長左衛門宣次の二男治右衛門宣全を祖と伝える。宣全は重信代に花巻より召し出され御物書となり、貞享五年初めて三駄二人扶持を受け、のち御物書頭、更に御祐筆となった。元禄三年七駄加増、合わせて十駄二人扶持となり、御祐筆御物書頭兼帯となった。「諸士給人由緒書」によれば、宣全は嗣子がなく、実兄助右衛門豊文の二男治五右衛門幸位を養嗣子として元禄十三年に隠居。宝暦五年に死去した。宣全の家督を継いだ幸位は明和三年隠居(同年死去)。その跡を藤助宣安(のち治右衛門・理右衛門、御用之間御物書、大納戸、作事奉行兼帯、文化十三年隠居、文政元年死去)、忠助 宣将と相続。文政十年二人加扶持、十駄四人扶持となった大更新田奉行を務めた。宣将は清行の号を以て三輪派歌人として知られ、天保二年死去した。その跡を平作(のち忠助、理右衛門、安政五年隠居、 御雇勘定方)━藤助宣親(のち九郎太、御雇勘定方、七戸通下役、蝦夷地締役)と相続、明治十年の士族明細帳によれば、この年宣親の跡を継いだ養嗣子茂枝は岩手郡沼宮内村乙四十五番屋敷に住居と見える。



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