小笠原尚

明治初年 奥瀬源助の改名


 嘉永三年高知家格奥瀬与七郎の子として出生 幼名源助 諱嵩昆 安政二年父与七郎が病のため隠居、幼少により目見え前であったが家督となる。新番組番頭、御側詰を勤めた。明治初年本姓小笠原氏に復して小笠原尚と改称した。
奥瀬源助家参照
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