県文化財保護審議会は8日、盛岡市で開かれ、南部絵暦の「天明三年田山暦」と「天保十三年盛岡暦」の二件の県有形民俗文化財指定を答申した。田山暦は発行部数が少ないなどで現存は少なく、所在が確認されている中で最古の年のもの。盛岡暦は県内に所在するものでは最も古いことから文化財として貴重とされた。
南部絵暦は文字を読めない人たちのため発案された。絵で組み立てられている。
田山暦は江戸時代中期、たび重なる飢饉(ききん)の中、農民救済のため農業経営の目安として考え出されたという。暦に使われた絵も農具や生活用具、十二支の動物など身近なものが題材とされた。はじめは手書きだつたが、需要が増して木活となった。
田山暦は広げると横長の紙面で、経文のように折りたたんでおけるようになっている。指定される1783年の暦は縦26.3センチ、横90.4センチの大きさ。田山善八の作となっている。秋田県の版画家が所有していたものを遺族が県に寄贈し、県立博物舘で所蔵している。
田山暦はもともと発行部数が少ないこと、暦という性格上、その年が過ぎれば廃棄されるもののため、現存するものは極めて少ない。「天明三年暦」は手書きと木活を用いたものがはほ半々で組み合わせられている。「天明七年暦」でははとんど木活を用いていることから、手書きから木活への移行期の暦と考えられ、田山暦の成立を考える意味でも貴重な資料という。
盛岡暦は田山暦の影響を受けて作り出されたもので、盛岡で考案され、目の見えない人に理解させるため文字を絵に変えて表現した。田山暦が木活を使用して一枚一枚捺印して作成したのに対し、盛岡暦は図柄を一枚の版木に彫った一枚刷り。需要に応じ多数印刷され、頒布は南部領一円に及んだという。
これまで知られている最古の盛岡暦は「文化七年暦」だが、現物は発見されていない。版木は明治時代以降のもののみ現存し、1982年に県文化財に指定されている。
指定される1842年暦は盛岡市内の個人蔵で県立博物舘で所蔵している。縦29.7センチ、横19センチ。作者は盛岡の舞田屋理作となっている。
南部絵暦に詳しい審議会委員の工藤紘一さんは「田山暦は一枚作るのに時間がかかり発行部数は多くなかっただろう。無料頒布で地域外に広げようがなかつた。江戸末期まで造られたようだが残っているのは少なく、9種類しか見つかっていない。盛岡暦は田山に遅れスタートする。書物では文化控年に出ていたという記載が見られる。売ってもうけることを考えていたので部数は多い。農民救済より町人に売ることが目的で、遊び心に通じる色彩が濃くなっている」と話す。
南部絵暦は田山暦木活版木85個などと盛岡暦版木10枚が、それぞれ県指定文化財になっている。
「盛岡タイムス」平成16年6月9日
▼参考▼
【田山暦】
現存確認されている江戸時代の田山暦
1. 天明三年暦(1783)岩手県立博物館蔵
2. 天明七年暦(1787)神奈川県寒川町寒川神社蔵
3. 享和二年暦(1802)国立国会図書館蔵
4. 文化十三年暦(1816)御殿場市勝又家蔵
5. 天保八年暦(1835)東北大学附属図書館蔵(欠落部分あり)
6. 天保十一年暦(1840)東北大学附属図書館蔵(欠落部分あり)
7. 天保十五年暦(1844)三島市河合家蔵
8. 嘉永二年暦(1849)安代町八幡家蔵 註 岩手県文化財指定
9. 安政七年暦(1860)、盛岡市佐藤家蔵
【盛岡暦】
現存を確認できる盛岡暦で江戸時代のものは20数点を数える.
その中の古いものは次の通り
1. 文政九年暦(1826)東京都浅井家蔵、国立国会図書館蔵
2. 文政十三暦(1830)東北大学附属図書館蔵
3. 天保四年暦(1833)国立国会図書館蔵、東北大学附属図書館蔵
4. 天保五年暦(1834)東北大学附属図書館蔵
5. 天保十三年暦(1842)盛岡市佐藤家蔵
6. 天保十四年暦(1843)伊勢市三日市家蔵
7. 天保十五年暦(1844)東北大学附属図書館蔵
8. 天保十六年暦(1845)盛岡市三上家蔵、国立国会図書館蔵
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