平成22年9月20日
泰衡の頭には22ミリの穴
レントゲン調査で分かった藤原4代
足澤医師が講演




 レントゲン学的にみた奥州藤原4代をテーマにした講演会(よんりん舎主催)が18日、紫波町日詰郡山駅の平井邸で行われた。60年前、平泉町の中尊寺金色堂に眠る藤原4代の遺体の調査が行われ、レントゲン撮影、死因、死亡年齢、身長、副葬品などを明らかにした。当時、レントゲン撮影は岩手医大の足澤三之介教授が担当した。息子で開業医の足澤輝夫医師が父親の調査内容や、調査団名簿に記載漏れになっていた補助委員の樋口喜代治さんの技術の高さについて語った。

 足澤三之介教授は第3代盛岡市長関定孝の3男。母方の姓を継いで足澤姓となっている。昭和4年(1929年)に東大を卒業。31年に私立岩手医学専門学校(現岩手医大)の教授に就任した。藤原4代の調査は40代の時だったという。
  
 足澤医師は「父は120枚撮影したが原板はいくら探してもない。スライドも20枚くらいしかなく、そろそろ寿命が来る。そうすると世の中に藤原4代の遺体の資料がなくなってしまう。もう一つは補助委員の樋口喜代治技師。レントゲン関係も粗悪品しかない時代にこれだけの撮影をしたのは名人芸だが、その功績がどの本にも載っていない。それで皆さんに見てもらおうと話をすることにした」と話した。

 調査報告書にある誤記が訂正されていないことも理由の一つになった。例えば、4代泰衡は家臣の河田次郎の謀反に遭い死亡した。その首には眉間から釘が刺されている。これについて調査報告書には「円形2ミリほどの穴があり、太い鉄釘が眉間から打ち込まれている」と記載がある。

 足澤医師は「(資料には)8寸釘が打ち込まれたことも書かれている。8寸(約24センチ)というと、かなり太くて長い」と述べた。直径2ミリの記述は誤りで、実際には22ミリぐらいの穴になってていると指摘した。

 初代清衡の遺体には胸部の骨がない。2代基衡、3代秀衡は完全体。4代泰衡は頭部のみとなっている。清衡の胸部がないことについて「人類学者は自然のまま、清衡は暖かい季節に亡くなったから残っていないと言い、だが肋骨や背骨がないというのは不思議だ。父は野ネズミを使って、餌を少しだけ与えて、牛骨を入れて長期間飼育していたが野ネズミは骨に見向きもしなかった。だから金色堂のネズミが骨を食い荒らしたのではないと父は話していた」と語った。

 遺体のレントゲンから、清衡は身長160センチ、基衡が167センチ、秀衡が164センチと推測されており、いずれも当時としては高齢で亡くなっていることから若いころの身長はこれに2、3センチ加えたイメージだという。

「盛岡タイムス」平成22年9月20日




ミイラのレントゲン(写真割愛)像から死因を探る


 初代清衡は左側(向かって右)の上腕骨と前腕骨の骨影は薄く、骨萎縮(骨粗鬆症)があるので、反対側の脳に脳卒中があったものと想像される。

 第二代基衡は右側大腿骨に同じく骨粗鬆症があり、左側脳に脳卒中があったものと想像される。

第三代秀衡は義経を助けた人であるが、胸椎にカリエス或は脊髄炎があったものとおもわれる。

 第四代泰衡は右側側頭骨に刀で切られた割創があり、奮戦の末捕らえられ、左側前頭部に八寸釘を打たれ、さらし首にされたものである。

 藤原四代は何れも鼻根部が扁平で、アイヌ族の如く陥凹がないので大和民俗である。

パネルによって示された写真解説文より


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