板垣 いたがき

板垣四郎


 明治元年支配帳に織笠弓太家と見え、『参考諸家系図』によれば武田太郎信義の二男板垣三郎兼信三男福士四郎義之を遠祖とし、九代の孫・織笠庄次郎保定祖と伝える。弓太貞順(安政五年家督、のち四郎、目付、維新後盛岡藩大属)は明治初年に本姓の板垣氏に復し板垣四郎と称した。同八年士族明細帳では板垣貞順と改名後の氏名が見え、同十一年の士族明細帳には下米内村(盛岡市)十六番屋敷に住居と見える。織笠弓太家


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