太田 おおた

太田忠平家 200711101361

 明治元年支配帳に太田忠平家がある。『参考諸家系図』によれば太田長右衛門政経
次男長十郎政道を祖と伝える。政道は寛文十二年に、兄長八政秀が家督の時、その部屋住料四駄二人扶持を分配され、鷹匠となり家を興し、元禄年間死去した。その子金右衛門政義は家督後鷹匠を務め、享保十九年死去。その子長十郎孝寛が相続の時、士班に列し、鷹匠御用を務めた。天明二年に隠居し、同四年死去した。その跡は金十郎道成(雇鷹匠、文化十一年歿)━喜平(泉山藤右衛門の次男、大槌通代官など、文久二年歿)━忠平政徳(太田代直志の次男、弘化二年相続、花輪通代官所下役など)と継いだ。慶応元年物価高騰により政徳は本高同様の手当米十石を支給され、手当米共で三駄四人扶持(高三十石)の実収となった。その跡を政忠━政明━雄之助と相続、現当主キヨは神奈川県に在住する。

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